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ウインドサーフィン こうして乗れるようになった 体験談実践記録

その他

私は20代から30代にかけてウィンドサーフィンに夢中でした。

ウインドサーフィンの思い出を、振り返ってみることで、なにか小さなことでも、これからウインドサーフィンを始める方の参考になればうれしいです。

この記事は海の仲間が出来てから、乗れるようになるまでを綴りました。

(ウインドサーフィン体験談仲間に出会うまで)

海の仲間が出来た!

私は同じ艇庫の会員である庄司さんと美紀さん(2人ともに仮名)と知り合い、それからというもの一緒に海に出るようになりました。

2人には、ほかに2人仲間がいて、紹介してもらいました。小黒さんとミホさん(2人ともに仮名)です。

この4人は艇庫(道具を置いておける場所)マリンセイラーズ(仮名)の会員になったのは私より遅く、それまでは隣りの逗子の海でウインドをやっていたようです。

この4人と知り合い、毎週末、海に行くのが楽しみになりました。

ミホさんはまだ乗れないらしく私と同じくらいな感じでした。

彼女は私と同じく仕事柄、毎週末、海に来れなくて、どうしても上達が遅くなります。

それでも、私は当時は海優先で週末はなるべく海に行けるようにしていました。

そしてどんなコンディションでも海に出ていました。

雨が降っても全く風がなくても。

それでも仲間がいると楽しかったです。

ミホさん以外の3人は週末は必ず海に来ていましたから、一人ということはなかったです。

まだ乗れないうちは、風のない日に練習するのはすごく大事です。

板の上でバランスをとる練習になるからです。

庄司さんはいつも道具を貸してくれました。

いつの間にか、勝手に道具を出してセッティングをしている感じでした。

自分の道具が欲しくて相談しましたが、なぜかもう少し待ってとOKが出ません。

後になって分かったことですが、薦められる板がなかったというのが真相でした。

次のモデルが出るのを待っていたのです。

風を読む

当時のマリンセイラーズは2階に上がると海を一望出来ました。

庄司さんや小黒さんは、いつも「海チェック」と言いながら2階に上がって海を見ていました。

ある時、庄司さんに「ごみぃ~、ちょっとついて来て。」と声をかけられました。

その頃はもう、仲間内でごみぃ~と呼ばれていました。

ミホちゃんが名付け親です。私の知らないところでそう呼んでいたのを、小黒さんにバラされたのです(^^)

その呼び名がめっちゃ気に入りました!

ごみぃ~
ごみぃ~

ごみぃ~はこの時付いた呼び名。すごい気に言ってるよ!

私もだいぶ慣れてきて、美紀ちゃん、ミホちゃんと呼ぶように。

小黒さん以外はみんな同い年だったのです。小黒さんは1個上でした。

さて、庄司さんに呼ばれて連れていかれた場所は、艇庫から少し歩いた高台です。

由比ガ浜全体を一望出来る場所です。

「沖のあの辺だけ色が濃くなっているの分かる?」と庄司さん。

確かにそこだけ色が濃く、少しずつ位置が浜の方に動いています。

「少しずつ手前にずれているでしょ?あそこに風が入っているんだよ!」

風が水面に当たり、さざ波のようになって遠くから見ると色が濃く見えるのです。

湯船につかっている時に、水面に息を吹きかけると水面がさざ波のように動きますよね。

まさにあの感じです。

「あのブロー(風が吹くこと)を見ながら乗るんだよ。だから乗っている時は常に進行方向風上の水面を意識して見るようにするんだよ。そうするとどこが風が強くてとか、もうすぐブローが入ってくるとか分かるから。」

私にとってそれはすごい貴重な情報でした。ウインドサーファーなら当たり前の情報でも知らなかったのですから。

その日から進行方向風上の水面を意識して乗るように。水面を観察すると庄司さんの言っていたことが、よく分かります。

(あっ、もうすぐブローが入ってくる。)そう感じた次の瞬間セイルに風が入ってきます。

飛ばされないように腰を落とし踏ん張ると加速していくのです。

今まで味わったことがないスピードで、アドレナリンが吹き出ます(^^)

自分の後ろを美紀ちゃんから借りた道具で庄司さんがついてきて、的確にアドバイスしてくれました。

こうして上達していくのでした。

海を見る

その日の海は強風が吹き荒れていました。オンショア(海から陸に向かって吹く風)で海面もグシャグシャです。

海に出られるのは上級者のごくわずかです。

「今日は海に出ないで、道具でも見にショップに行こうか?」と庄司さんが提案してきました。

喜んでついて行くことに。

バイクの後ろに乗せてもらいながらショップを回りました。

帰り道、逗子海岸にバイクを止めた庄司さんが一言、「この逗子の海をよく覚えておいて。波の大きさとか、どこで崩れているかとか。」と言ってバイクをスタートさせました。

トンネルを抜けて由比ガ浜に出ると、再びバイクを止めた庄司さんが「どう?」と聞いてきました。

全然さっきの逗子海岸の海と表情が違うのです!

ごみぃ~
ごみぃ~

隣りの湾なのに、こうも違うのか?!

波のサイズが由比ガ浜の方が大きいし、沖から崩れて白く割れています。

素直な感想を言うと、「でしょ!鎌倉の海は逗子に比べて、この風向きで吹くと波が入りやすいんだよ。」

ウインドサーファーは、普段自分が乗っているホームゲレンデのことをよく知っといた方がいい、ということを教えてもらったのです。

痛い思い出とワールドカップ

1993年6月の良く晴れた日、その日も朝早くから海に来て練習していました。

その日は仲間たちと練習後、夕飯を食べてからウインドサーフィンのワールドカップを観に静岡県御前崎に行く予定の日!

日中の練習からワールドカップが楽しみで仕方ありません。

アクシデント、それは練習中に波打ち際の浅瀬に立っている時に起きたのです。

突然、右足の裏に激痛が走りました! 

下から何かが突き刺さるような感じでした。ちょうど人差し指の付け根あたりです。

「痛っ!」思わず叫び声をあげずにはいられませんでした。

足を引きずるようにして浜に上がると、勢いよく血が滴り落ちています。

(カニにでも挟まれたかな?)そんな風に思っていました。

ミホちゃんが心配そうに駆け寄ってくれます。

右足に体重をかけるのが困難で、ミホちゃんの肩を借りながら艇庫に戻りました。

艇庫に戻っても痛みが引きません。

艇庫のオーナーの安藤さん(仮名)が、近くの漁師さんに症状を説明したところ、おそらくエイかオコゼの類だろうとのことで、患部を温めると良いと教えてくれました。

やっとの思いで、ウエットスーツを脱いで温かいシャワーを浴びると痛みがだいぶ楽に。

ですが、治ってきたかな?と思ったのはほんの一瞬でした。

患部が冷えてくると、さらに状態は悪化して、足が太ももまでパンパンに腫れ上がり動悸も激しくなってきました。

「ごみぃ~!大丈夫か?」とワールドカップに一緒に行くことになっていた金井さん(仮名)が、車で近くの外科に連れて行ってくれました。

病院でレントゲンを撮ってみたところ、やはり針が刺さっていました。

なにかを踏んだ感じではなく、砂地に足を置いたら痛みが走った感じだったので、たぶん砂に潜っていたエイを踏んだのだろうと思いました。

傷口に麻酔をかけて針を摘出、これが痛いのなんのって、ホントヤバかった(>_<)

その場で半日入院となり、座薬を処方してもらい休むことに。

あとは時間が経てば自然に治るとのこと。

結局仲間たちと一緒に夕飯を食べることは出来ず、寝ていました。

夕飯を済ませた仲間たちが病院に来てくれたのは21時を回った頃でした。

「ごみぃ~大丈夫か?」「行けそう?」

「もちろん行きます!」

美紀ちゃんとミホちゃんに抱えられながら、なんとか車に乗り込み出発しました。

男どもは肩を貸してくれんのかい? そう思ったのはもちろんです(^^;

御前崎に着いたのは明け方。みんなその後爆睡です。

起きてみると会場周辺はもうギャラリーでいっぱいでした。

足の状態はまだ痛かったですが、昨日よりはましな感じでした。

御前崎はどんより曇っていますが風は吹いています。これなら出来そう!

ビヨン・ダンカベックやロビー・ナッシュ一流選手を見たら足の痛さを忘れて追いかけて行きました!

そして一流選手の波乗りやハイジャンプに魅了されたのです!

1993年を最後に行われていないワールドカップの一部をご覧ください。

乗れるようになった先には極楽ウインドが

仲間と海に出るようになって、ずいぶんと上達したような気がしました。

庄司さんの道具を借りるようになって半年くらい経ったでしょうか。

ようやく自分の道具を買いました。良い道具をなるべく安く。

自分の道具で出艇する筆者

風の弱い日ならあまり落ちずに乗れるようにまで上達しました。

あとは風が吹いたとき乗れるかです。

吹いた海で乗るには、腰につけているハーネスを使ってセイルを引き込み、板に付いてるストラップ(草履の鼻緒のようなもの)に両足を入れる必要があります。

そうすることで強風でも飛ばされず、板が水面から浮いたようになり滑走状態に入ります。

風が弱いときはストラップに足を入れることは出来ません。

風が吹いたときに練習するのですが、なかなか入らないのです。

かなり練習してようやく前足だけ入れることが出来ました。

スピードに乗って一瞬、板が浮いたような感じがしたのです。

興奮して庄司さんにそのことを話したら、「後ろ足が入ってないのならまだダメだよ。」という答え。

この後ろ足を入れるのにすごく苦労しました。入れようとすると風でセイルごと風下に飛ばされるのです。

飛ばされる先は水面なので、たたきつけられても痛くないのですが、体ごと宙に持っていかれる感覚が怖いのです。

ある風の吹いてる日、浜に上がって休んでいると「甘いね!」と言いながら庄司さんが近づいてきました。

せっかく吹いているのになぜ練習しないの?という感じでした。

小黒さんも美紀ちゃんも練習しています。

庄司さんは「乗れるようになるまで、時間はいくらかかってもいいけど、期間はなるべく短くした方がいいよ。それには海に出るしかないよね。」

期間が長くなってしまうとモチベーションが下がったり、嫌になったりする。

そんなことがないように、なるべく早く乗れるようにする。

最後に庄司さんが言った言葉は、

「乗れるようになった先には極楽ウインドが待ってるよ。」

それはまさに極楽ウインド

ストラップに足が入るには、ある程度風が吹かなければなりません。

いつも風が吹いてる訳ではないので、海に行っても全く練習にならない日もあります。

しかしいつ吹いてもいいように準備をしておく必要があるのです。

最低限、海にいなければ話になりません。

極楽ウインドを味わいたい。

それは仲間と出会って約1年になる頃、突然訪れました。

その1週間前の風が吹いた日、やはり練習していたウォータースタートが出来たのです!

ウォータースタートとは、足のつかない深場でセイルアップすることなくセイリング体制に入ることです。

ウォータースタートの解説動画

ウォータースタートが出来れば、沖で落ちても楽に乗ることが出来ます。

そして翌週また吹いてきました。

ついに前足に続いて後ろ足がストラップに入ったのです!

その瞬間、スルスルっと板が走り出し、まさに水面から浮いた感覚で、前足だけの時とは違い安定感が抜群です!

ちなみにこの状態のことをプレーニングといいます。

雄叫びをあげずにはいられませんでした。アドレナリンは駄々洩れ状態に!

ロビー・ナッシュのプレーニング

↑腰に付けているハーネスを使って体重を預けることでセイルを引き込み、さらに両足がストラップに入っている状態。

この状態で安定したプレーニングが出来るのです。

一度出来てしまうと次は簡単です。

初めて補助輪なしの自転車が乗れた時と同じ感覚を思い出しました。

まさに楽しいの極致、それは極楽でした!

仲間に出来たことを伝えると「見てたよ~!」喜んでくれました。

それがまた嬉しかったですし、さらにモチベーションもアップしましたね!

下の動画は私がプレーニングしているところです。

その日の最後に庄司さんはこうも言っていました。

「めちゃくちゃ楽しかったでしょ? 今のうちにどんどん乗ったほうがいいよ。この先ずっと海にいる時間があるか分からないからね。」未来を暗示した言葉でしたね。

もう最後のウインドから20年近く経っていますが、こうして記事を書いてると今でも楽しくなってきますね。

終わりに

今回は私が仲間と出会ってから乗れるようになるまでを記事にしました。

ウインドサーフィンをやる環境、仲間の大切さ、上達法が伝われば、うれしいです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

(ウインドサーフィン体験談仲間が出来るまで)

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